この記事は、2005/01/06に『探求三昧ブログ』に投稿したものを加筆訂正して再掲する。
1/3からの連載記事「おみくじの話」の最終回です。
◆おみくじの重要性
おみくじの話の続きです。
実は、私がおみくじの重要性を認識するようになったのは、ごく最近のことでした。
たしか2002年1月に、神奈川県の大山阿夫利神社へお参りして、大吉が出たときのことです。
しかも、これには後日談があって、その2ヶ月後の3月22日にも、大山阿夫利神社を訪れたんです。
そのときも大吉でした。
ちなみに、同じ日に伊勢原の伊勢原大神宮にお参りして、そこでも大吉が出ました。
それで「これは一体どういうことなんだろう?」と考えるようになったんですね。
◆おみくじで大吉が出やすい
『おみくじ日誌』をつけ初めて以来、この3年間で、大吉が出た割合はというと、51回おみくじを引いて大吉が出たのが16回で、31%ということになります。
だいたい3回に1回ですね。
※その後も、大吉が出る割合はほぼ同じ。
だから、私の場合、普通の人が大吉を引く確率よりも2倍も大吉を引いていることになります。
2004年3月に沖縄へ行ったときも、十二支巡りで5回おみくじを引いて、首里観音堂と波上宮で大吉を引きました。
同行したカミンチュー(神人)が呆れていましたね。
「大吉しか入ってないんじゃないの!?」みたいに。
こういう風に、私の場合、特に自分が縁がある神仏が祀られた神社仏閣へ行くと、大吉が出ることが多いようです。
もっといえば、そういう縁ある神仏のところへ初めてお参りしたときに、大吉が出やすい。
神さま仏さまにすると「よく来たな」みたいな感じなんでしょうか。
過去生からのご縁があるのかもしれません。
でも、縁が深い神さまのところで必ず大吉が出るかというと、そういうわけでもありません。
私にとって、もっとも縁ある神といえば、諏訪大明神(建御名方神)です。
父方先祖代々の土地の神さまであり、うちの神棚にもお祀りしています。
でも、この神さまは厳しいところもあるみたいなんですね。
なかなか大吉を頂けません。
そういう意味では、うちの神棚にお祀りしている弁才天さまも同じです。
それからもうひとつ、なぜ大吉が出やすいのかということを考えた場合、『利他的なお祈り』ばかりして『利己的なお祈り』をしないせいもあるのかもしれません。
◆おみくじは神による占い
いままで書いたような経験を経て、おみくじは神さまによる占いだという結論に達しました。
いってみれば「御神占」ですね。
ただし、それは「神さまの方に向いた人々にとって」の話です。
そうでない人々にとっては…どうかわかりません。
何かのことで悩んでいるとき、そこらへんの街頭のヘタな占い師に見てもらうよりも、自分に縁ある神社へお参りして、おみくじを引いてみる方が、よっぽど適切な「回答」が得られるかもしれません。
だから、大吉とか凶とか、おみくじというのは、そういう「結果」がすべてではないんですね。
大吉とか凶とかの結果に一喜一憂してばかりではなくて、そこに書かれた文面をよく読んでみると、そこには今の自分の境遇にとって思い当たることが多いのではないでしょうか。
◆大吉が出たことがなかった
最後に、おみくじで大吉を引いたためしがないという人が、時々います。
じつは、私も以前はそうだったんですよ。
私が本格的に『聖地巡礼』をさせられるようになったのは、1994年にSEとしてインドネシアへ派遣されて、のべ1年半のあいだ働いたときからでした。
聖地巡礼を始める前までは、おみくじで大吉が出たためしがなかったんです。
考えてみてください。
大吉が出る確率は、だいたい平均すると6回か7回に一度ですよ。
それだけの回数おみくじを引けば、確率論からいうと、一回は大吉を引くはずです。
でも、私はそれまでの三十数年間、おみくじを引かなかったわけではないけれど、大吉を引いたことを覚えていないんですね。
1回や2回あったけれど、忘れているのかもしれませんが。
そういう人間が、あるキッカケを境にしてコロっと変わってしまうのだから、やっぱり「何かある」としか思えませんね。
もともと神仏のために働かなければならない人間が、そうしなかったから…?
言ってしまえば、40歳を過ぎるまで、先祖の氏神様の諏訪大社へお参りしたことがなかった。
これが一番いけなかったのでしょうね。
※うちの一番の大吉ゲッター愛弥美。