この記事は、2004/11/30に『探求三昧ブログ』で投稿した内容を加筆訂正したもの。
地球という星に生まれ落ちて、異なる世界観をもつ人々の中で生きることを考えてみた。
数少ない人々
※以下は2004/11/30に『探求三昧ブログ』に投稿した記事に加筆訂正したもの。
どういうわけか、巫女的な人とか超能力者とか霊能者みたいな人たちから相談をもちかけられることが多い。
また、そういう人たちとは短期間のうちに意気投合してしまうことが多い。
自分でも、何故だかわからない。
一つには、お互いに寂しい同士だからかもしれないとも思う。
自分のことをいうと、昔から「普通の人たち」と共通の話題がもてなかった。
だから、仕事の付き合いの人たちとは、話す話題に困ってしまう。
生きていくためにもつ世界観が、まったく異なるからだ。
この人生において、何に重きを置くかが、まったく違うからだ。
お互いに本音で話し合ったら、宇宙人と話しをしているようなものかもしれない。
必然的に、こういう人間は口数が少なくなる。
宇宙人
良い学校へ入ってよい会社へ就職して良い給料をもらって大きい家を建てて…というような生き方に、まったく共感がもてなかった。
それで中学生にして、ドロップアウトした。
価値観を共有できる人がこの世界に少ないということは、本当に寂しいことだ。
超能力者たちや霊感が強い人たちは、意外と親しい友達がいなかったりする。
普通に話していて、相手の嘘や本音が見えてしまい、潔癖な人ならば、それだけでイヤになるのだ。
自分はといえば、子供の頃から、自分が「場違いの惑星」に生まれてきてしまった異星人のように思っていた。
今でいうと、サントリーのBOSSのCMのように。
いつも、遊びで「宇宙人の目」でこの世界を眺めていた。
いま考えると、あながち遊びではなかったのかもしれない。
かつてデビッド・ボウイが主演した映画『地球に堕ちてきた男』で描かれていたような異星人の孤独感、寂寥感はよくわかるのだ。
ちなみに、あの映画ではツトム・ヤマシタが音楽を担当していたが、映画の光景に合ったジャパネスクな音楽…尺八の響きがやたらにその映像にマッチしていて遊星的郷愁を誘っていた。
ユングの言葉
「人は他人が知らないことを知るほどに孤独になる」というようなことを言っていたのは、心理学者のユングだった。
正確には、『自伝』で以下のように書いていた。
孤独は自己の周囲に人がいないために生じるのではなく、自分にとって重要と思えることを他人に伝えることができないときか、自分が他人の許容し難い何らかの観点をもつことによって生じてくるものだ。
孤独は私の初期の夢の体験から始まり、私が無意識について研究しつつあるとき、その頂点に達した。
人は他よりも多くを知るとき、孤独となる。
『ユング自伝 2―思い出・夢・思想』(カール・グスタフ・ユング、みすず書房)
孤独を越えたところに
でも、孤独を越えたところにある共感というのも、あると思う。
砂漠の中に落としたダイヤの指輪を探すようなものかもしれないが、その努力は無駄ではないだろう。
そこらへんにいる大人たちよりも、子供たちとの方がよっぽど共感を持てるかもしれない。
たとえ我侭であっても、自然に逆らわない生き方をしている者たちの方が。
※再掲部分ここまで