※この記事は、2004/09/27に探求三昧ブログで初出のものに加筆訂正したものです。
ビートルズに入れ込んだ頃
なぜか、いきなりビートルズの話。
中学2年生の頃に、当時の若者のご多分に漏れずに深夜放送を聴き始めた。
そして、ポピュラー音楽に目覚めた。
直後にビートルズに出会ったが、ちょうど解散するしないで揉めていた頃だった。
ビートルズから音楽に入ったと言えるだろうが、考えてみれば、それが幸運だったかもしれない。
クラシックだろうがロックだろうが民族音楽だろうが、みんな同じ音楽なんだ。
良いものは良いと、分け隔てなく聴けばいい。
それをビートルズが教えてくれた。
その頃、映画『Let It Be』を見た。
ビートルたちは、ロックミュージシャンというよりも哲学者に見えた。
惚れた腫れただの歌しか歌わない連中とは、次元が異なっていた。
映画『Let It Be』
映画『Let It Be』は、崩壊間近のビートルズを露わにしたドキュメンタリーだった。
伝説となったアップル社屋上のライブでは、ジョージ・ハリソンが今までの彼には信じられないぐらいワイルドなギターソロを見せていた。
今考えると、あれは旧友のエリック・クラプトンに師事した成果だろう。
クラプトンといえば、『Get Back』では、ジョージではなくてジョンがギターソロを弾いているが、あの間奏のフレーズはクラプトンから教示されたという。
愛と憎しみ
『Get Back』といえば、あの歌はポール・マッカートニーがヨーコ・オノへ「元いたところへ帰れ」と嫌悪感と嫉妬をあらわに歌った歌だということは、あまり知られていない。
このことが、一部の人々の「妄想」ではないことは、次のことからも、はっきりとわかる。
この歌では、"Jojo"という男が登場する。
自分のことを一匹狼だと思っているが、それは長くは続かなく、アリゾナの田舎からカリフォルニアへ「グラス」を求めてやってきた。
そのジョジョに、リードヴォーカルのポールが「もと居たところへ帰れ!」という歌だ。
ある国の言葉では、"J"が"Y"の音に変化して発音される。
だから「Jojo」とは「Yoyo」、つまり「Yoko」のことなのだ。
2番の歌詞では"Sweet loretta Martin"という人物が登場する。
自分のことを女だと思っているが、実は男だという。
ヨーコに対して「お前なんて女じゃない」と言っているのだろうか。
感情を露わにして
ヨーコは、ポールが『Get Back』を歌う時に、自分のことを何度も見ながら歌うことに気づいていた。
そのことは、ヨーコ自身が自分の著書で書いていることだ。
残念ながらその本を手放してしまって書名さえ覚えていないが、まだ文庫本で出ているかもしれない。
今Amazonで検索してみたら、『ただの私(あたし) 』という本が講談社文庫で出ているが、これだったか…。
ともかく、才女である彼女は、『Get Back』が自分に対して「帰れ」と歌っている歌だということを、すぐに悟ったのだ。
友だち以上
端的に言ってしまえば、ポールはジョンに対して昔からホモセクシャルな愛情を抱いていたのではないか。
ジョンとの間で肉体的な関係があったか、ジョンが相手にしなかったかどうかは定かではない。
だが、ポールがジョンに対して「友達以上の感情」を抱いていたことは、私見では間違いないと思っている。
ジョンの先妻のシンシアの頃は、ビートルズのレコーディングセッションに顔を出すようなことはなかったから、まだ良かった。
だが、ジョンとヨーコは常に一緒で、レコーディング中でも隣に座ってベタベタしていた。
こういう状態を見せ付けられては、男だろうが女だろうが、嫉妬の感情があらわになっても不思議はないだろう。
嫉妬心
じつは私も、同じような立場にあったことがある。
かつて付き合っていた女性がいて、その当時無二の親友だと思っていた男に合わせたところ、彼は彼女に対して嫌悪感をあらわにして、面と向かって憎まれ口を叩いた。
IQが人一倍高く聡明な彼女は、事の本質をすぐに見抜いた。
「あの人、直也さんに対して愛情をもっていたのよ」と来た。
それで、ハッと気が付いた。自分のことに関しては鈍いところがあって、そういうことは言われるまで気づかないのだ。
たしかに彼は、時々私の手を握っていたりした。
だが、単にふざけているのだろうと思っていたのだ。
同性の嫉妬とは、異性の場合よりも激しいのかもしれない。
ポールがジョンに抱いた愛情は、自分でも「叶わぬ愛」とわかっていたのかもしれない。
もし二人に肉体関係などがなかった場合の話だ。
ちなみに、ビートルズのかつてのマネージャーだったブライアン・エプスタインは、ホモセクシャルだったということを生前に自分で認めていた。
穿った見方をすれば、ジョンやポールがその「洗礼」を受けていた可能性も、なきにしも有らずではないか?
だが、それが事実だったとしても、メディアでは決して語られなかっただろうが。
信じられなくても当然
これでもまだ、信じない人がたくさんいることと思う。
アルバム『Let It Be』には、『The Long and Winding Road』という名曲が入っている。
映画では、ポールがカメラを真正面に見据えて、誰に対してか、かなりの感情移入で歌っていたように思えた。
歌詞にしても曲も、歴史に残る名曲だろう。
「長くて曲がりくねった道は、君へのドアへ僕を導く」と、この歌で歌いかけている対象も、ジョンだったのではないか。
ジョンへの叶わぬ愛を、切々と歌った歌なのだ。
風が強い夜には、夜通し泣きとおした。
何度も何度も僕が一人になって、何度も泣いてきたことを、君は知らないだろう。
なぜこの歌がこんなに悲しいのか。
そのわけまでは、この歌では語られない。
だが、それは私の中では明白だ。
3対1の対立
ビートルズの解散は、形的には、ポールが脱退宣言をしたことをきっかけとしている。
他の3人は、バンドを勝手に仕切ってリーダーシップをとるポールの態度を好ましく思っていなかった。
音楽的にも、ポールは他の3人と対立していた。
『レット・イット・ビー』のアルバムの出来に満足しない3人は、フィル・スペクターにプロデュースを依頼した。
ポールはかなり「変な人」だ。
メロディーメイカーという意味ではビートルズ一の天才だった。
天才だからこそ「変な人」なのか。
ポールが同性への志向があったとしても、私は驚かない。
ジョンはビートルズ随一の女好きだったと言われているが、両方OKである可能性もあるかもしれない(?)
男女の愛というのは、それが満たされなかった場合に、容易に憎しみに変わる。
それは、「男と男の愛」でも同じようだ。
いや、そちらの方がむしろ強く出るのかもしれない。
事実とは皮肉なものだ。
ビートルズの中でもきわだつ名曲が、実はホモセクシャルの歌だったとは。
だが、それが「天才」というものかもしれない。
(反論がたくさん来そうだが…)
行きすぎたか…
以下は、翌日2004/09/28(火)に書き加えたもの。
昨日書いた部分に、もしかしたら行き過ぎと思われるところがあるかもしれないので補足しておく。
ポール・マッカートニーがジョン・レノンに対してホモセクシャルな愛情をもっているというところだ。
これは、たとえそうであっても、性的欲望が伴わないプラトニックな愛情、もしくは同姓の父とか兄のような慕う対象としての存在なのかもしれない。
だが、そういうレベルだとしても、ヨーコ・オノに対する「嫉妬の感情」は抱いたただろうか。
ポールがヨーコに対して必要以上の嫌悪感を抱いていたことは、確かだろう。
そして、解散後のポールのジョンに対する敵対心は普通ではなかったことは、その類の本を見れば明らかだ。
それはやはり、ある種の愛情なしには考えられないことではないか。
ジョンの方はといえば、ポールがあれほどまでにヨーコに対して辛く当たることが許せなかったということもあるだろう。
自分に対して特別な感情を抱いているなどとは、露ほども思ってもいなかっただろうが。
「日本へ帰れ!」
いずれにしても、『ゲットバック』は、ポールがヨーコに対して「日本へ帰れ!」と歌ったものであることは確かだろう。
また、あの名曲『ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード』は、ポールがジョンへの「想い」を切々と歌ったものであることも、『Get Back』ほどではないにしても、私の中ではかなり高い可能性があると思っている。
ところで、井上揚水が無伴奏で歌う『The Long and Winding Road』は良かった。
揚水によると、「ビートルズはポールだった」そうだが、それについてはほぼ同意できる。
ビートルズがクラシックの音楽家たちからも評価されたのは、天才作曲家としてのポールの存在なしにはありえなかっただろう。
もっとも、詩的にはジョンの才能に及ばなかっただろうが。
エリック・クラプトン曰く「ポールは最高のブルースシンガー」だそうで、たしかにビートルズの中で最もソウルフルな歌い方ができた人だった。
また、甘いラブバラードも何でもこなすように、歌手としても天才的だった。
だが、精神性という点では、ジョンやジョージ・ハリソンに負けていたかもしれない。
ビートルズをインドへ向かわせたのは、ジョージだった。
そして、その経験以来、ビートルズの歌詞に深みが加わったということは言えるだろう。
新作映画『Get Back』
監督は、「指輪物語」を映画化した『ロード・オブ・ザ・リング』の監督を務めた、ピーター・ジャクソン。
俄かには信じがたい情報だが、監督であるピーター・ジャクソン氏が内容について語っているYouTube動画があるので、確かなようだ。
これは昨年12月時点に撮影されたもので、まだ編集中だと語っている。
しかも、その編集中の映像のさわりを見せてくれている。
この状況で本当に8月に日本の劇場で公開されるかどうか不明だが、期待したいものだ。